Step into the Future and Shape Tomorrow | 未来を切り拓き、明日を創造しよう

Louis Armstrong の「What A Wonderful World」という曲が好きで最近またよく口ずさんでいる。いつの日かそんな世の中が来ることを夢見て私の第二の人生は始まっている。

Walking a New Path: Reflections on Middle Age as a Single Woman in a Foreign Land

Middle Age. Single. Woman. I was living in worry amidst the global financial crisis and the 2011 Fukushima Earthquake/Tsunami. I was reaching a turning point in my life when a sudden opportunity arose to move permanently to the United States. The news got me excited; however, the uncertainty of leaving behind my comfort zone into a darkness where the finish line seemed uncertain made me feel a little anxious. But here I am today, twelve years later since that day. I am walking my second life in Chicago.

Seems to me, it ain’t the world that’s so bad but what we’re doin’ to it.

And all I’m saying is, see what a wonderful world it would be if only we’d give it a chance.

Love baby – love

That’s the secret.

Louis Armstrong

独身女性が折り返し地点で人生を切り拓く:幸せな未来への選択と行動

女性そして独身、人生の折り返し地点に差し掛かり始めようとした頃、やり残してきたことができるかもしれない機会が突然訪れた。長いこと申請していたアメリカの永住権が認可された。アメリカに渡って自分のやりたいことに挑戦出来るチャンスがきた。人生の集大成を迎えるに当たって必要な準備期間も考えると丁度いいタイミングだった。とはいえ、日本でやっと築き上げたそれはそれで満足のいく生活環境と引き換えに、50を目前にして未知の土地で新たな道を開拓していくだけの力量と気力があるのか… 不安がつきまとう。

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そんな時部屋の片付けをしていると、箱の中に閉まったきりになっていた中学の時、唯一手を挙げ率先して出場した弁論大会の原稿と大学時代に書き上げた卒論が出てきた。中学2年生の時、国際児童年の年だったことから「未来の世界を背負う私たち」と題して、世界の貧困問題、差別問題そして言語の違いからくるコミュニケーションの壁があることを語った。改めて読み返してみると中途半端な内容だったが、当時の自分の思いが詰まっていた。経済成長を遂げた日本が世界へと目を向け始めていた時期に、アメリカで幼少期を6歳近くまで過ごした記憶が蘇り、世界に存在する問題を伝え、この先私たちも共に考えていかなければいけない課題になると子供ながらに強く心に抱いていた。

大学に入ると服装学を中心に衣食住を整えることの大切さを学び、創意工夫を加えることで自分を表現していくことの面白さを覚えた。その上で、日本の繊維·アパレル産業が1980年代当時国際化に向かっていく際の着眼点や問題点について理解を深めていくことにも努めた。卒論では、アルビン トフラーのFuture Shockを参照し、近い将来、人間は絶えず続く変化に圧倒され、心の準備がされていないことから当惑し、何をすべきか定まっていない状況の中で、自分で考え、判断し、自らが決めていかなければ、他人に代わって決断を下されてしまう時代が来ることを提起した。

その後も、時代のうねりを渡っていく。いつも心の片隅に不安を抱き、目の前に壁が立ちはだかっては、心休まる環境を築きたいと願っていた。両親を手こずらせてばかりいた子供時代だったが、それ相応の知識と経験を積み上げてきた。その半生を振り返り、思いを何かしらの形にして残したい気持ちが芽生えた。そして意を決して動き出す時がきたと悟った。1929年以来の世界金融危機の時期と重なり、さらに、2011年3月11日、東北沖震災が起きた。出口の見えない暗闇の中、一国の島を出て太平洋を渡りアメリカ大陸に移り住むことを決めた。

その日から早10年。今シカゴという地で手探りながら第二の人生を歩き始めている。

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