The Day Will Come #1: Hope for the Future | 未来への希望

The Day Will Come; August 2011, Narita Airport.  The emotional burden of the last 40 years started to overwhelm me as I was waiting to board. Half a century has passed since I stepped foot at Haneda Airport at six years old.  As I returned to the normality of Japanese life, I felt something was missing.  For me, I needed a place called home.  As I grew up, the airport became the place to inflate my dream, and that dream turned into my goal, and that goal came true before the age of fifty.

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2011年8月、成田空港。搭乗前の待ち時間、飛行機の離着陸を見ながらそれまでの40年の思いが錯綜する。

1972年8月、5歳で羽田空港に降り立ち、東京のギラギラしたネオンの輝きに圧倒されてから半世紀。目紛しく時代も流れ、飛行機も身近に乗れる交通機関となった。日付変更線を越えることにワクワクする人も今となってはいないだろう。国際空港が羽田から成田に変わろうが私にはいつも特別な場所だった。家族の誰かが海外に行く度、空港に見送りに行くことが家族の一大イベントだった。でも私はいつもみんなのお見送り。何となく置いてきぼりにされている気分で、いつの日かこの空港から飛び経ってアメリカに戻りたいという思いを幼心にずっと持ち続けていた。空港がその夢を膨らませてくれる場所となって、その夢はいつの日からか目標へと変わり、50歳を前にして叶った。

certificate of crossing the international dateline

引越しの多かった子供時代、故郷と呼ぶところがなかった。夏休みに友達が「田舎に帰る」と嬉しそうに話すのを横目に「田舎」がどんなところかピンと来ない。日帰りで行く距離にあるおばあちゃんの家に行っては、友達を真似ては、「田舎」という言葉を使ってみたりもした。かといって東京都心部に住むお嬢様というわけでもなく、下町に住む江戸っ子というわけでもない。昭和40年代当時、日本で築き上げようとしていた「一般家庭像」の枠から外れた家庭環境の中で育てられていることは幼心にも感づいていた。本籍、出生地、出身地そして居住地、それぞれの場所を使い分けている日本の文化って、なぜこんなにも複雑で解りにくいのだろう。自問自答し続ける。そういったこともあって、たわいもない日常生活に混乱し、自分の居場所をいつも探し求める子供に育っていった。たくさんの思い出の詰まったアメリカが、いつの日からか私の中で楽しさの詰まる架空の「故郷」となっていった。

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