The Day Will Come #2: Hope for the Future | 未来への希望
13 hours from Narita Airport to O’Hare. As I stepped foot in Chicago, my family welcomed me with open arms. I thought the transition would be easy. I visited Chicago enough times that I was able to call it my second home. I also speak English quite well. Nevertheless, I soon realized that building a life here in Chicago was not the same. Everything seemed so different. Choices. Loudness. Manners. Cleanliness. Language. And of course the violence. The obstacles were so great to overcome that I felt the shock through my body. I withdrew myself to escape the anxiety and pain I was feeling inside me.
The longer one lives in this world, the more one learns. It is always good to learn, but as one accumulates knowledge of the world’s wickedness, one grows ever the more cautious, ever the more prepared for the worst.
Soseki Natume | 夏目漱石
About a year passed before I started slowly thinking about my life again. I already lived almost a half-century. I came here seeking something meaningful and new to my life. The clock needle started to move and I wanted a change. I decided to start my new journey with three goals in mind that I could accomplish in the next thirty years.
- Build a place that I could call home.
- Immerse me in the arts.
- Find the secret to live a healthy life and age gracefully!
I know that day will come when I could celebrate my accomplishments!

成田空港から13時間でオヘア国際空港。緊張した面持ちで入国審査の順番を待つ。担当官が言葉と大きな笑みで門出を祝ってくれる。アメリカ大使館で外交官の担当者に ’Congratulations!’と言われた時と同様、安堵と歓喜に浸った瞬間だった。
シカゴの地に足を踏み入れると、既に住む家族が私を迎え入れてくれた。知らない環境に移るだけでも、多大な労力を要することは小さい時から繰り返し経験してきたし、覚悟を決めてきた筈だった。新生活を始めるものの、すぐ現実を目の当たりにする。休みを使って遊びに来るのとでは全く訳が違う。世界で経済破綻が起こり、いつまで経っても光が差し込んでこない。自分の生活を立て直すことで精一杯のご時世。仕事もなく家族以外の知り合いもいない。ここで道をどう切り開いていけば良いか。文化や習慣の違いに戸惑うこともさる事ながら、全く地域の状況が掴めない。行動を起こすにも勝手がわからない。選択肢の多さに驚き、何をどこからどう尋ねれば良いのかわからず戸惑う。挙げ句の果て、何を聞かれているのかすらわからなかったりもしてくる。何もかもが真逆に出来ている日本とアメリカ。インターネットで探そうとしても情報の多さに圧倒される。クラクラして頭が真っ白になってしまい、エネルギーを吸い取られていく。とにかく一つのものを決めるまでに時間がかかりすぎる。外に出れば身の回りのことは自分で細心の注意を払わないといけない。疲労困憊。この年になると一人で過ごす時間をあまり苦ともせず、気がつけばひきこもりに近い生活も悪くなくなってくる。友人がいる訳でもなく、自分のしたいことに時間を費やし、家で淡々と1日を過ごす生活もそれはそれで悪くはないものだったりする。漱石も言っていたが、「世に住めば事を知る、事を知るはうれしいが日に日に危険が多くて、 日に日に油断がならなくなる。」正にそんな気分だ。
そうこうしているうちに、人間というのは健全な生活を送ろうと何か変化を求め始めるものだ。異文化の違いを肌で感じ、何かしら接点を見つけて交流を深めていく中で、生活文化を工夫しながらも、時間に逆らわず導かれるままに過ごしてみるのも悪くはないと思えてくる。そう思った瞬間、止まっていた針が動き始め、次の人生の旅路が始まった。人生こんな繰り返しだ。自分の居場所がなければ自分で快適なものを作り出せばいい。それだけのことだ。そんな難しく考えることもあるまい。
改めて何をしにこのシカゴの地に来たのか考えてみたが、人生、半世紀も生きるとそこまで深く考えても仕方ない。出来ることとなんて限られてくる。そう思った瞬間、生涯かけてやりたい「こんなこと」を3つだけあげてみた。
- 故郷と呼べる理想の棲家を築くこと
- 文化と芸術の環境に身をおくこと
- 健康に自立して100歳まで生きる術を見つけること

さて、ここから「こんな」を形にしてみようと思う。